マッチングアプリは恋活や婚活をするためのオンラインサービス……という話は、今更わざわざするまでもないことかと思います。
当然そこには恋愛要素が含まれることもご承知でしょう。つまり、マッチングアプリで恋愛厳禁などという言葉はただの戯言でしかありません。

マッチングアプリをいつまでも卒業できない方は、少し立ち止まって考えてみてください。
恋愛意識が強すぎると理想が高くなる?
人間、誰しも自分が思う理想の相手と付き合いたい、結婚したいと思うもの。タレントの結婚報道で悲鳴を上げる方々が少なからずいらっしゃることからも、それは明らかです。
そして、それと同時に世の中そうそううまくいくことはないことも、皆様ご承知のことと思います。多くの方は、その理想と現実に折り合いをつけて日々を生きています。
閑話休題。マッチングアプリには実に多くの男女が各々の目的を背負って集まっています。今や5人に1人が何かしらのマッチングアプリを利用しているともされ、ネット上の出会いという、かつては忌避される傾向にあったものが普通のこととして認識されるようになりました。
普段知り合えない誰かと繋がれる可能性をもたらしてくれるこのマッチングアプリを使ってみて、あるいは使ってみようと思い立った動機として、こう考えた方も少なくないのではないでしょうか。
ここなら、理想の相手が見つかるかもと。
恋愛意識+ネット→理想の恋愛を求める
この時点で無意識的に相手に求める理想が高くなってしまっています。理想と現実には違いがあることを理解していながら、『ネットなら』という言葉で我々の脳はそのことを忘れ去ってしまうのです。
その結果、最悪の場合『もっといい人がいるかも』という願望に支配されることとなり、本当はもっと前に相手を見つけられたかもしれないのにいつまで経ってもマッチングアプリを辞められない状態に陥ってしまいます。
そうでなかったとして、仮にその理想に叶う相手をマッチングアプリで見つけたとしましょう。その人物と実際に会うということになって、喜び勇んで待ち合わせ場所に向かうと、現れたのは思っていたのとは違う感じの相手だった……それで意気消沈してせっかくの出会いを台無しにしてしまうなんてことは、よくある話です。
いずれの場合も、根本的な原因は明白です。それは、恋愛しようとする意識が強すぎたこと。理想を求めることは悪ではありませんが、それが障害となるのなら、早々に排除すべきです。
ネットは理想の自分を演出しやすい
以前『視線耐性が上がればマッチングアプリで成功できる!』でも触れていますが、ネットという空間は理想の自分を非常に演じやすい場所です。
現実では自分の意見を言えない臆病な性格でも、ネットでは大声を上げられる。現実で仲のいい友人は少なくても、ネットには大勢の友人とつながっている――ネットが発達するとともに、現実との乖離はより顕著になりつつあるように思います。
これはマッチングアプリでも同様です。最終的な目的は現実で恋人乃至結婚相手を見つけることだとしても、その可能性をより確実なものに近づけるため、写真は最も写りがいいものを用意し、場合によっては加工を施し、プロフィールには都合の悪い事実は書かず、マッチングした相手とのやりとりではより饒舌になる――たとえそれが、すでに現実の自分とは全く別の人格であったとしても、後戻りできない。
相手に自分のことをよく思ってもらいたいという自己顕示欲は誰しもが持ち合わせているものであり、3大欲求に次いで人間には必要なものとされています。ですので、ネット上の自分と現実の自分に隔たりがあることは何ら不思議はありません。
そして、理想を演出する人間もまた、理想を求める人間である場合もあります。

純粋に人との出会いを楽しむ
生きるために必要である以上、自己顕示欲を捨て去れなどという権利は誰にもありません。
ですが、自分の理想のハードルを低くすることはできます。
そのために最も手っ取り早い手段が、恋愛意識を排除すること。これは恋活するなといっているわけではなく、マッチングアプリというツールをもっと幅広く、見知らぬ人との出会いを提供してくれるツールとして認識してはどうかという意味です。
仮に、マッチングアプリを1つの教室に例えましょう。男女比は6:4とします。
そこに集まる人々の中には、好感が持てる人物もいれば全く反りが合わない人間もいるでしょう。そしてそんな中から、親密になって男女の仲になる人々も出てくることでしょう。
果たして彼らは、理想を追い求めた結果その相手にたどり着いたのでしょうか? 選り好みをし続けた結果、完全完璧に自分にとって最高のパートナーとして相手を見出したのでしょうか?
そのような僥倖に恵まれるのはほんのごく一部の人間だけです。多くは、何かしら好きになるきっかけがあって、その果てに恋人同士、あるいは夫婦になります。
マッチングアプリでの出会いを現実での出会いに例えるのは私自身違和感はありますが、だからといってマッチングアプリに応用が効かないというわけではありません。
一切の理想を捨てよ
一切の、というのはいささか乱暴な物言いですが、この点は『婚活アプリでは直感を信じて『アリ』『ナシ』を見極めるべきか?』でも少々触れています。
すなわち、『絶対に譲れない条件』と『妥協できる条件』、そして『各条件の最低ライン』を書き出すというもの。
ここではそこに更に、『恋人を作るぞという意思を忘れる』というものを追加いたします。
恋人を探さず恋活
恋人を探すと意気込んでしまうと、どうしても自ずと理想が高くなりがちです。そうなると、実際に会ってその相手を減点方式で採点してしまうことになります。
では、恋人を探そうとせずに、ただ純粋に誰かと会うことを楽しもうとした場合どうでしょう。
恋活を意識から外すことで、今度は理想のラインが低くなり、初めて会った相手に対し加点方式での採点が行われます。
どちらが相手に好印象を抱きやすいかはいうまでもありません。
でも、マッチングアプリでは事前にメッセージでやり取りしているし、顔写真も見ているからどうしても期待してしまうとお思いでしょう。
ここで、『やり取りしているのは全員冴えないおっさんだ!』なんてことは流石にいいませんが、その印象の半分、よくて2/3程度の期待値に留めるよう心がければ、会ったときに肩を落とす確率はぐっと下がります。
恋人は作るものではなくできるもの
肝心なことは、よくいわれる『恋人は作るものではなくできるもの』という考えを保持し続けることです。
確かにマッチングアプリは恋活・婚活のためのツールではあります。ですが、だからといって恋人を作るぞと息巻きすぎて失敗し続けるくらいなら、あえてその意識を外して、純粋に新しい出会いを楽しむというのも十分にありな方法です。
それを不真面目というのならそうなのでしょう。しかし、何事も少し肩の力を抜いたほうがうまくいくことも少なくありません。
もしマッチングアプリでどうしてもうまくいかないという方は、少しだけそのあたりのことを考えてみてはいかがでしょうか。
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